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ぼたん園の歴史
年表
昭和2年 | 創設者河西貴一により東西100間南北150間、5町歩(1万5千坪)の雑木山を取得する。札幌以北では無理とされていた牡丹を植苗するが失敗。 |
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昭和3年 | 熊の出没する野付牛(ノツケウシ)の原始林を拓き、当時東北海道唯一人の園芸家田巻美石園の二作氏の協力を得て、50,000平米の大花園を(河西牡丹園)を創設。アメリカよりケンタッキー種の芝生を輸入、植苗。牡丹園を開園。 |
昭和49年 | 河西貴一他界。貴一の次女、河西節がぼたん園の管理を引き継ぐこととなる。 |
平成14年 | ぼたんの花芽約千株がカラスによる食害を受ける。管理者河西節が市民から寄せられた対策法などを実行して、翌年にはぼたんの花は回復するも、休園をやむなくする。 |
平成17年 | 河西節の他界によりいったん閉園する。 |
平成20年 | 創設者の孫である、河西宏悦園主により再開 現在、園内を整備しながら開園中。 |
昭和32年10月創立30周年記念
創設者の河西貴一と
造園者の田巻美石園 田巻二作氏
創設者 河西貴一 のプロフィール
明治19年(1886年)8月15日、香川県大川郡白鳥村に生まれる。明治31年、12歳の時に両親とともに美唄に移住した。明治33年上川文武舘を卒業。明治38年に19歳で陸軍志願兵として、近衛師団へ入営。明治41年に除隊後、置戸に転任、木材業を経営した。また青年会長、部落部長、消防組頭などを務め、大正8年、北見に転居。カフェー「河西軒」を経営する傍ら、現在のぼたん園を経営。また商工会議所議員、中央青年会長、町会議員などを経て、同7年、北海道議会議員2期となる。 昭和43年の開道100年には開拓功労者として町村知事から表彰された。その間、北見市の発展に貢献し官民各種団体から、多数の表彰を受けるなどしている。昭和期にわたり、ぼたん園内に子安弘法大師聖観世音をまつり、毎年多くの参拝者を迎え盛大な祭典を行っていた。昭和49年(1974年)4月没。
創設者 河西貴一